久米島紬ってどんな紬?特徴や歴史をそれぞれ解説
引用:https://www.furusato-tax.jp/product/detail/47361/344474
久米島紬は、国の「重要無形文化財」にも指定された由緒正しい伝統工芸品です。
その歴史は古く、起源は室町時代までさかのぼります。
また、久米島紬はその風合いや色調が印象的で、希少性も高く人気の織物です。
ここではそんな久米島紬にスポットをあてて特徴や歴史について解説します。
久米島紬とは
まずは久米島紬(くめじまつむぎ)とはどのようなものか解説します。
沖縄県久米島町で作られる織物
久米島紬とは、沖縄県島尻郡久米島町で作られた織物のことです。
なかでも、「久米島紬事業協同組合」によって制作された場合は「本場久米島紬」という名称で呼ばれます。
2004年には国の「重要無形文化財」にも指定された、日本を代表する伝統工芸品です。
その独自の風合いや希少性から、とても人気の高い織物として知られています。
久米島紬の歴史
久米島紬の歴史は古く、室町時代にはすでにその原型があったとされます。
そこから久米島紬はさまざまな変遷を経て発展してきました。
ここでは、久米島紬の歴史についてみていきましょう。
久米島紬の起源について
久米島紬の起源についてはっきりしたことは分かっていません。
しかし、「琉球国由来記」という沖縄の歴史書には、14世紀頃に「堂の比屋」という人物が中国の明に渡って、養蚕の技術を学び日本に持ち帰ってきたと記されています。
日本での紬の文化は久米島で発祥した後、沖縄本島や奄美大島に伝わったのち、本土で広がったようです。
有名な紬は他にも「大島紬」「久留米紬」「結城紬」などがありますが、これらも久米島紬が起源とされています。
重税により久米島紬の技術も発展
琉球王国は1609年に薩摩藩に支配され、1611年にはさまざまな重い税が課せられるようになります。
その1つが貢納布(こうのうふ:反物などを税として納めること)です。
紬のもとになった絹織物は以前よりも高い品質のものが求められます。
そこで琉球王国は1619年に越前出身の坂元宗味を招き、養蚕や真綿の製法などの技術を織子たちに伝えさせました。
この流れによって久米島紬は大きく発展します。
薩摩から染色や紬織の技術が伝わる
1632年には友寄景友が、染色や紬織の技術を伝えたことにより、久米島紬は技術的にも大きな進歩をとげます。
友寄景友は薩摩出身で、八丈織りに精通していた人物です。
久米島紬はこの頃には参勤交代を通じて江戸にも伝わっていました。
江戸では「琉球紬」の名で知られていたようです。
紬の生産が盛んになった18世紀
18世紀を超えると紬はますます生産が盛んになりました。
当時の資料によれば「799反」の紬が納められたという記録が残っています。
この頃紬は米の代わりに納められていましたが、とても税負担が大きく、15歳~45歳の全ての女性に課せられていたようです。
明治の半ばまでは、この貢納布の制度が続きました。
明治時代以降は産業として発展
1879年に重い納税から解放された久米島紬は、産業資源として発展します。
ここでようやく人々は税のためでは無く、生活費を稼ぐための仕事として紬を織り始めました。
それに伴って紬の改良も行われます。
それまで飼われていた蚕はシマムシグヮという黄色の繭を作る種類で、繭をほどくのが難しく、真綿(まわた:絹の繭を煮て綿にしたもの)以外への使用は困難とされていました。
ですが、1905年に藤戸竹網氏の手よって、本土から質が高い白繭が取り寄せられ、次第に普及していきます。
また、同時期に養蚕業の講習会を行うことで、品質の改良を続けた結果、紬の生産は飛躍的に進歩を遂げました。
最盛期の久米島紬
1909頃から久米島紬の生産高は年々増加し、1914年の第一次世界大戦では大戦特需によってピークを迎えます。
記録によると1900年からの10年で生産量が4倍に増えたようです。
ただし、当時は久米島紬も安価で取引されており、作ってもあまり収益が手元に残らないこともありました。
それでも人々は紬で生活を支えていたようです。
戦後の復興と大島紬
第一次世界大戦後の世界恐慌によって生産高は年々下がりました。
さらに第二次世界大戦での敗戦が追い打ちをかけ、久米島紬は次第に衰退します。
しかし、その状況を変えたのが具志川村の上江洲の人々です。
彼らが養蚕を復興させたことで、久米島紬も次第に作られ始めました。
活動内容としては、紬の講習会や染色場の建設などさまざまです。
その後は協同組合なども設立され、久米島紬はさらに活性化し現在に至ります。
1977年には「沖縄県指定無形文化財」に、2004年には国の「重要無形文化財」に指定されました。
久米島紬の特徴
引用:https://www.fufuya.net/shop/products/detail.php?product_id=38
久米島紬の特徴について解説します。
紬とは
紬とは蚕繭(さんけん)から引き出した糸によりをかけ、丈夫な糸にして織り上げた絹織物です。
日本では沖縄県久米島を発祥とし、全国に広がりました。
有名な紬は以下の3つが挙げられます。
・大島紬 ・久留米紬 ・結城紬 |
素朴でしなやかな風合い
久米島紬は素朴でしなやかな風合いの生地が特徴です。
生地は織子(おりこ)によって手織りで作られており、織り糸には「引き糸」と「紬糸(つむぎいと)」が使用されています。
引き糸とは繭から生糸を手で引き出したものです。
一方、紬糸とは屑繭(くずまゆ:引き糸として使えなかったもの)を綿のような状態に引き伸ばし、よりをかけて手で紡いだ糸です。
これらの原料である絹糸は島内の養蚕農家によって生産されています。
天然染料を使用した独特な色調
久米島紬には天然の染料が使われていて、落ち着いた色目が特徴です。
染料には久米島に生息している植物や泥を使用しており、それぞれ「草木染め」と「泥染め」という技法で生地に染め付けられます。
色合いとしては、基本的には光沢のある黒が多いです。
他にも若草色や黄色の生地があります。
すべての工程を1人で行う
久米島紬は1人の織子(おりこ)がすべての工程を担うのが特徴です。
工程の中には、図案の選定や染色の原料の採取、糸の染め付けなどが含まれており、およそ1年がかりで作られます。
作業は全て手織りで行われ、デザインには「絣括り」という技法が用いられています。
絣括りとは、紬糸に染色する際に模様の部分のみを糸でくくり、そこだけ染料が染みこまないようにする技法です。
国の指定工程として登録されている由緒正しい技法ですが、染色には非常に手間がかかります。
1つの生地にこれだけ時間と手間がかけられていることも、久米島紬の魅力と言えるのではないでしょうか。
販売価格や買取価格の相場は?
久米島紬の着物の販売価格は、50,000~200,000円です。
なかには100万円近いものも存在します。
また、中古でも久米島紬は希少性が高く人気なので高価買取の可能性は十分にあるでしょう。
着物の状態にもよりますが、~35,000円あたりがおおよその買取相場です。
まだまだ高値で取引されているため、お持ちの方で売却を検討している方は、ぜひウリエルの無料査定をご利用ください。
高く買い取ってもらうポイント
久米島紬の着物をできるだけ高い値段で売りたい場合は以下の点に注意するとよいでしょう。
証紙があれば査定時に出すとよい
着物を買った際についてくる証紙を着物と一緒に査定に出すことで、買取価格を上げることができます。
例えば久米島紬の証紙の中では「伝統工芸品之証」や「経済産業大臣指定伝統的工芸品」が代表的です。
久米島紬の証紙については以下で詳しく解説しているのでご覧ください。
証紙は不要なものとして捨てずにしっかりと保管しておきましょう。
状態によって価値が変わる
着物の状態をよくしておくことで、価値が下がるのを防ぐことができます。
よい状態をキープするには日頃からの管理が大切です。
着物は湿気に弱く、型崩れを起こしたり色落ちしたりします。
また、湿気が多いとカビなども繁殖してしまうため注意が必要です。
着用後にはしっかりと陰干しして水分を飛ばした後、たとう紙(着物を包むための紙)に包んでタンスに収納しましょう。
また、陰干しする際は日光の当たらない風通しのよい場所で行ってください。
まとめ
久米島紬の歴史や特徴についてお分かり頂けたでしょうか。
久米島紬は希少性が高く人気もあるため、高価買取が望めます。
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