江戸時代のお金の価値は?種類別の買取相場や買取に出す注意点も解説
江戸時代のお金「金貨」「銀貨」「銭貨」は希少価値が非常に高く、高額買取が期待できるでしょう。
そこで今回は、江戸時代のお金の価値だけでなく、歴史やお金の仕組みについても詳しく解説します。
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江戸時代のお金の価値
日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料によると、1両を米価と大工の手間賃、そば代と比較してみた場合、以下のようになると考えられています。
なお、価格は時期によって異なります。
・米価:1両約40,000円 ・大工の手間賃:1両約300,000~400,000円 ・そば代:1両約120,000~130,000円 |
また、江戸時代の平均物価は以下の通りです。
種類 | 物価 |
銭湯 | 1回8文(130円前後) |
旅館(旅籠) | 1泊200~250文(5,000~6,250円) |
家賃 | 1か月800~1,000文(24,000~30,000円) |
医者(薬礼) | 1回1,000~2,000文(30,000~50,000円) |
酒 | 1升80~132文(2,000~3,300円) |
そば | 1杯16文 (265円前後) |
米 | 1升100文(1,650円前後) |
大工の手間賃 | 1回300文前後(7,500円前後) |
一般庶民の平均収入は100,000円程度であったことから、医者に診てもらったときに支払う薬礼は非常に高額であったとわかります。
このように、江戸時代と現代では社会の仕組みや暮らしが大きく異なるため、江戸時代の1両の現在価値を明確にすることは非常に困難です。古いお金の価値については、こちらの記事で詳しく解説しています。
江戸時代のお金の仕組みとは?
日本国内で、一般国民が使用できるお金が作られるようになったのは、江戸時代に入ってからです。
12~16世紀まで使用されていた渡来銭やびた銭が、徳川家康によって金・銀・銭の三貨幣に統一されました。
そして明治時代になると、現代につながる円単位の新しい貨幣が誕生します。
以下では、三貨制度や単位の交換比率、貨幣改鋳の目的など、現代とは異なる江戸時代のお金の仕組みについて詳しく見ていきましょう。
三貨制度
江戸時代の通貨は、三貨制度によって金・銀・銅と統一されていました。
貨幣の種類はそれぞれ「金貨」「銀貨」「銭」で、より細かく分けると以下の通りです。
貨幣 | 種類 |
金貨 | 大判、小判、一分金・二分金、一朱金・二朱金 |
銀貨 | 丁銀、豆板銀 |
銭貨(正式には寛永通宝) | - |
三貨幣の中で最も価値が高いのは大判金貨です。
大判金貨は一般流通用の貨幣ではなく、主に軍用や賞賜、贈答などに用いられていました。
江戸時代には「慶長」「元禄」「享保」「天保」「万延」の5種類の大判が発行されています。
なお、1601年(慶長6年)から流通が始まった貨幣には、「両」「分」「朱」などの単位が採用されました。
単位の詳細は以下の通りです。
貨幣 | 単位 |
金貨 | 小判:両 一分金・二分金:分(ぶ) 一朱金・二朱金:朱 |
銀貨 | 貫(かん)、匁(もんめ)、分(ふん) |
銭貨 | 貫、文(もん) |
単位の交換比率について
江戸時代の貨幣は、種類によって計算方法が異なります。
金貨の場合は、一朱4枚で1分1枚、1分4枚で1両1枚(小判1枚分)のように、お金の枚数で計算されていました。
一方で銀貨は、重さで価値が決められる秤量貨幣です。
銭貨1,000枚を紐に付けた重さ約3.7kgのものを1貫文と呼び、4貫文で金1両と同じ価値であるとされていました。
交換比率の変化
江戸時代は変動相場で、現代の円とドルの相場が変化するように、交換比率が日々変化していました。
以下では相場を年代別にまとめました。
年代 | 相場 |
初期 1609年(慶長14年) | 金1両=銀50匁=永楽通宝1,000文=鐚銭4,000文 |
中期 1700年(元禄13年) | 金1両=銀60匁=4貫文(4,000文) |
後期 1842年(天保13年) | 金1両=銀60匁=6.5貫文(6,500文) |
幕末 1865~1868年(元治2年~慶応4年) | 金1両=銀150匁=10貫文(10,000文) |
両替商の活躍
両替商はお金の交換を行う商人であり、毎日交換比率が変化する江戸時代には欠かせない存在でした。
時代とともに経済活動が活発化してくると、両替商は両替だけではなく、人々からお金を預かったり貸し付けたりなど、現在の銀行のような働きをし始めます。
有名な両替商は、大坂の鴻池屋と江戸の越後屋(三井家)、住友で、越後屋と住友は現在の大手銀行グループです。
貨幣改鋳の目的とは
貨幣改鋳(かへいかいちゅう)とは流通中の貨幣を回収し、金や銀の含有率や形を改訂して再度市場に流通させることです。
貨幣改鋳は、金の産出量減少や幕府財政の窮乏の打開、経済の発達に伴う貨幣需要の増大などを目的として行われました。
一般庶民が使うお金
江戸時代に一般庶民が使用していたお金は、以下の通りです。
・一文銭 ・四文銭 ・波銭 ・天保通宝(百文銭) ・豆板銀 ・一朱銀 ・二朱銀 など |
銭貨は、銭1枚で1文(20円前後)の価値であったと言われています。
当時よく流通していた銭貨は、1枚=4文の四文銭や波銭です。
江戸時代の貨幣の単位は4進法で、物価が団子1串4文やそば1杯16文のように4の倍数であることが多かったため、四文銭や波銭は非常に使いやすい貨幣でした。
銭貨は金貨との両替も可能で、1両で約4,000~6,000文の価値があったと言われています。
庶民が金貨を手に入れた場合、両替商で銭に交換してもらうのが一般的でした。
一分金や一朱金のような金貨は庶民にとって非常に高価なものであり、小判は滅多に目にする機会がありませんでした。
金貨の価値は当時約20,000~30,000円で、現代の価値にして約80,000~100,000円です。
江戸時代の生活とお金
江戸時代と現代では、生活にかかる費用やモノの価値が異なるため、お金の価値にも違いがあります。
以下では、江戸時代の職業別のお給料や、生活にかかる費用から生活とお金の関係について解説しています。
江戸時代のお給料
江戸時代の3つの職業のお給料は、以下の通りです。
職業 | お給料 |
武家下女奉公人 | 1年=2〜3両(600,000〜1,200,000円) |
町方奉公人 | 1年=男性2両(600,000〜800,000円)、女性1両(300,000〜400,000円) |
料理人の賃金 | 1日=300文(7,500円) |
人気の歌舞伎役者のなかには年俸1,000両を得ていたとされ、現在のお金に換算すると年俸1億3,000万円となります。
年俸1,000両を稼ぐ歌舞伎役者は「千両役者」と呼ばれ、現代の「1億円プレイヤー」と呼ばれる一流プロ野球選手と同じくらいの高収入を稼ぐ人も存在していました。
庶民は贅沢な暮らしができなかった
江戸時代にかかる生活費は高く、庶民は贅沢な暮らしができませんでした。
例えば、職人や商家に仕える町方奉公人が職業だった場合の年間でかかる生活費は、以下の通りです。
種類 | 年間の生活費 |
家賃(四畳半2間) | 銀120匁(約260,000円、1か月あたり約21,000円) |
お米代(夫婦と子ども1人) | 銀120匁(約260,000円、1か月あたり約21,000円) |
調味・薪炭代(調味料代や光熱費) | 700匁(1,510,000円) |
江戸時代後期の金相場は金1両=銀60匁=6.5貫文で、男性の町方奉公人の年収が2両だったため、家賃とお米代の支払いだけで精一杯だったとわかります。
そのため、娯楽にお金を使えるほど余裕がなく、贅沢な暮らしはできなかったと予想できます。
江戸時代と現代では物の価値が違う
江戸時代と現代では物の物価が違うため、モノの値段を単純に比較すると誤解を招く恐れがあります。
江戸時代の人々にとって滅多に手に入らず貴重であったモノが、現在も同じように貴重であるとは限らないためです。
例えば、江戸時代に使われていた傘は1本250文(5,000円前後)で、材料には竹や和紙などが使われ、すべての工程を手作業で作られていました。一方、現代の洋傘は、材料にスチールやアルミ、化学繊維のなどが使われ、生産工程が機械化されているためコストをかけずに量産が可能です。
このように、生産方法や入手の容易さなどは時代によって違うため、一概に現代のモノの価値と比較するのは困難となっています。
江戸時代のお金は現代でも価値がある?
江戸時代に流通していた小判は現代でも価値があり、種類や状態によって高額で取引されます。
小判は金としての価値に加え、流通量が少ないものは希少価値が高く高値がつきやすいためです。また、大判金は他の金よりサイズが大きく金の含有量も多いため、1,000,000円以上の価値がつくこともあり高額で取引されています。
江戸時代のお金の買取相場一覧
高価買取が期待できる江戸時代のお金は、大判や小判、一分銀、二朱銀です。
その中でも特に「慶長大判」と「万延大判」は価値が高く、1,000,000円以上の値が付くことも珍しくありません。
以下では、金貨・銀貨、銭貨の買取相場を詳しく見ていきましょう。
金貨
金貨の買取相場は以下の通りです。
名称 | 発行年 | 買取相場 |
慶長一分判 | 1601年(慶長6年) | ~500,000円 |
元禄二朱判 | 1697年(元禄10年) | ~500,000円 |
真文二分判 | 1818年(文政元年) | ~100,000円 |
文政一朱金 | 1824年(文政7年) | ~100,000円 |
慶長小判 | 1601年(慶長6年) | 1,000,000円~ |
元禄小判 | 1695年(元禄8年) | ~1,000,000円 |
宝永小判 | 1710年(宝永7年) | 1,000,000円~ |
享保小判 | 1714年(正徳4年) | ~1,000,000円 |
正徳小判 | 1,000,000円~ | |
元文小判 | 1736年(元文1年) | ~500,000円 |
文政小判 | 1819年(文政2年) | ~500,000円 |
天保小判 | 1837年(天保8年) | ~500,000円 |
慶長笹書大判金 | 1601年(慶長6年) | 1,000,000円~ |
明暦大判金 | 1658年(明暦4年) | 1,000,000円~ |
元禄大判金 | 1725年(享保10年) | 1,000,000円~ |
享保大判金 | 1,000,000円~ | |
天保大判金 | 1838年(天保9年) | 1,000,000円~ |
万延大判金 | 1860年(安政7年) | 1,000,000円~ |
万延小判 | ~500,000円 |
※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。
金貨は当時も価値の高い貨幣であったため、高価買取が期待できます。
小判の中で高価買取が期待できるのは、慶長小判と宝永小判、正徳小判、大判金です。
慶長小判は、江戸時代に作られた小判の中でも大型で、金純度が高いという特徴があり、高額で取引がされています。
宝永小判のサイズは小さめですが、慶長小判と同等の品位があります。
正徳小判は、発行から4か月程で改鋳となった小判です。
そのため希少性が高く、高い値段で取引がされています。
大判金は大きな楕円形が特徴的で、一般的な大判金の大きさは縦長143mm、幅84mmです。
銀貨
銀貨の買取相場は以下の通りです。
名称 | 発行年 | 買取相場 |
メキシコ貿易銀 | 1535年(天文4年) | ~50,000円 |
貞享通宝 | 1684年(貞享元年) | ~50,000円 |
天保一分銀 | 1837年(天保8年) | ~10,000円 |
安政一朱銀 | 1853年(嘉永6年) | ~10,000円 |
二朱銀 | 1859年(安政6年) | ~500,000円 |
※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。
銀貨の中でも特に高価買取が期待できるのは、二朱銀です。
流通期間はわずか22日で、鋳造自体も4か月で終了しています。
希少価値が非常に高いため、高額で取引がされています。
銭貨
銭貨の正式名称は寛永通宝です。
1668年までに発行された寛永通宝は「古寛永」、1669年以降に発行された寛永通宝は「新寛永」と呼ばれます。
寛永通宝は穴銭に分類され、現代のような丸い穴ではなく、四角い穴が特徴です。
寛永通宝は、紀元前3世紀に秦(中国)の始皇帝の時代に作られた「半両銭」が起源とされています。
穴が四角い理由は、当時の中国では四角形が縁起のよい形であるとされていたためです。
また、銭の製造工程で四角い棒が使用されていたことも、穴の形が四角形になった理由とされています。
それでは銭貨の買取相場も見ていきましょう。
名称 | 発行年 | 買取相場 |
慶長通宝 | 1606年(慶長11年) | ~50,000円 |
元和通宝 | 1617年(元和3年) | ~500,000円 |
二水永 | 1626年(寛永3年) | ~50,000円 |
芝銭 | 1636年(寛永13年) | ~500円 |
水戸銭 | 1637年(寛永14年) | ~500円 |
天聖元寳 | 1659年(万治2年) | ~10,000円 |
祥符元寳 | ~10,000円 | |
熈寧元寳 | ~10,000円 | |
嘉祐通寳 | ~10,000円 | |
治平元寳 | ~10,000円 | |
元豊通寳 | ~1,000円 | |
正字背文 | 1688年(元禄元年) | ~500円 |
文銭 | ~500円 | |
元禄開珍 | 1693年(元禄6年) | ~10,000円 |
二字宝永 | 1707年(宝永4年) | ~100,000円前後 |
寳永通寳 | 1708年(宝永5年) | ~10,000円 |
小梅銭 | 1737年(元文2年) | ~1,000円 |
下野国足尾銭 | 1741年(寛保1年) | ~500円 |
仙臺通寳 | 1784年(天明4年) | ~1,000円 |
本座 長郭 | 1835年(天保6年) | ~1,000円 |
咸豊通宝 | 1851年(嘉永4年) | ~10,000円 |
箱館通寶 | 1856年(安政3年) | ~1,000円 |
薩摩藩 横郭 仰冠當 | 1862年(文久2年) | ~10,000円 |
秋田波銭 | ~50,000円 | |
琉球通寶 | ~50,000円 | |
秋田鍔銭 | 1863年(文久3年) | ~10,000円 |
琉球通宝 半朱 | ~50,000円 | |
筑前通宝 | ~100,000円 | |
攵久永寳 草文 | ~500円 | |
攵久永宝 略宝 | ~500円 | |
盛岡銅山 | 1866年(慶応2年) | ~100,000円 |
水戸虎銭 | 1867年(慶応3年) | ~100,000円 |
水戸藩鋳銭 短足寳 | 1868年(慶応4年) | ~10,000円 |
盛岡銀判 八匁 | ~500,000円 |
※相場は目安であり、買取価格をお約束するものではございません。
銭貨は種類によって買取相場が大きく異なります。
高価買取が期待できる銭貨は、元和通宝や二字宝永、盛岡銀判八匁です。
元和通宝は慶事記念用に作られたといわれている銭貨で、現存数が少なく実際に通用しなかった試鋳銭であるとも考えられています。
二字宝永は1707年(宝永4年)に試鋳がされた銅製の試鋳銭です。
実際に通用しておらず、非常に希少性の高い銭貨となっています。
盛岡銀判八匁は軍事費用調達のために作られた銭貨で、銀の純度が99.5%と非常に高いのが特徴的です。
また、大判小判について詳しく知りたい方はこちらの記事もご覧ください。
江戸時代のお金を買取に出す際の注意点
江戸時代のお金を買取に出す際には、いくつか気を付けるべき点があります。
できるだけ高値で売却するためには、以下で紹介する5つの点に注意しましょう。
自分でクリーニングしない
江戸時代のお金を自身でクリーニングするのは避けたほうがよいでしょう。
江戸時代のお金は古いため、表面の汚れや削れなどが目立つ場合があります。
しかし、自身でクリーニングを行なってしまうとかえって細かい傷が付いてしまい、古銭としての価値が失われてしまいます。
古銭は状態が悪くても、そのままの状態で査定に出すのがおすすめです。
なるべく早めに買取に出す
江戸時代のお金をお持ちの場合は、早めに査定に出すのがおすすめです。
お金は時間が経つにつれて劣化してしまい、劣化してしまうと買取価格が下がってしまいます。
すぐに買取に出す予定のない方は、硬貨専用ケースに入れて保管すると酸化を防げるため、経年劣化のスピードを緩やかにできるでしょう。
また、傷や汚れが付くのも防げるので大変便利です。
硬貨専用ケースは、100円ショップや文房具屋で購入できます。
複数の買取業者に査定を依頼する
江戸時代のお金を査定に出す際には、複数の業者に査定を依頼するのがおすすめです。
江戸時代のお金の価値はある程度決まっていますが、実際の買取金額は買取業者によって異なります。
そのため、複数の業者で査定をし比較検討してみると、満足のいく額での売却につながるでしょう。
査定に出す際は、無料査定ができる買取業者に依頼すると余計な出費を抑えられるのでおすすめです。
セットで買取に出す
他の古銭がある場合は、セットで買取に出すのがおすすめです。
まとめて査定に出すことで付加価値が付き、買取額がアップする可能性があります。
特に金貨と銀貨に比べて価値の低い銭貨は、セットで査定に出したほうが買取価格もアップするでしょう。
お金の歴史
普段何気なく使用しているお金ですが、お金はどのように誕生し、時代とともにどのように変化してきたのでしょうか。
以下では、お金の歴史について詳しく解説します。
日本で最初に作られた貨幣
引用:https://commons.m.wikimedia.org/wiki/
File:Fuhon_sen_TNM_back.jpg
日本で最初に作られた貨幣は、近江朝時代(667~672年)に発行されたと言われている「無文銀銭」です。
以前までは、708年(和銅元年)発行の和同開珎が最古の貨幣とされていました。
しかし、1998年(平成10年)の飛鳥池遺跡の発掘によって富本銭が作られていたとわかり、さらに滋賀県にある崇福寺跡から無文銀銭が11枚見つかったことから、富本銭よりも古いお金が存在していたことが明らかになりました。
無文銀銭は中央に小さな穴の開いた銀製小型円板で、銀片が貼り付けられているのが特徴です。
日本最古の紙幣
引用:http://www.isekawasaki.jp/hagaki/
日本最古の紙幣は、「山田羽書」と呼ばれる紙幣です。
山田羽書は、1600年(慶長5年)頃に、現在の三重県伊勢市である伊勢山田地方で流通し始めました。
紙幣は貨幣と比べて軽量で持ち運びがしやすく、伊勢の商人たちによって使用されたのが流通のきっかけと言われています。
次第に各地域内で通用する藩札・私札などが大量に発行されるようになり、紙幣が公に認められるようになりました。
山田羽書は、廃藩置県や藩札処分が下される1873年(明治6年)頃まで流通していたと言われています。
「円」はいつから使われていた?
「円」の単位が使用し始められたのは、明治時代に入ってからです。
明治政府が1871年(明治4年)に制定した「新貨条例」がきっかけで、お金の単位に「円」が用いられるようになりました。
新貨条例は、江戸時代の複雑な貨幣制度を整理するために制定された条例です。
基本の貨幣単位は円で、円の1/100は「銭」、銭の1/10は「厘」と定められました。
新貨条例によって「1両=1円」と定められため、古いお金の単位から新しいお金の単位への以降をスムーズに行うことができたと言われています。
明治期の政府紙幣・国立銀行紙幣とは?
明治時代初期には、殖産興業政策の遂行と近代的な通貨制度を確立させるために欧米をモデルにした銀行が数多く設立されました。
明治初期に発行された政府紙幣や国立銀行紙幣について詳しく見ていきましょう。
政府紙幣
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%
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政府紙幣は、明治政府によって発行された紙幣です。
西南戦争の戦費の賄いや財政の窮迫・新貨幣の不足への対応、殖産興業資金の供給のために発行されました。
また政府紙幣は、通貨の安定を図るための日本銀行券(兌換銀行券)が発行された後、1899年に通用停止となりました。
明治政府によって発行された紙幣には以下の通りです。
発行年 | 紙幣 | 特徴 |
1868年(明治元年) | 太政官札 | 日本で最初に発行された全国通用紙幣で、単位は「両」です。厚さは5mm程で、裏面には金づちでたたいたウロコ状の模様があります。 |
1871年(明治4年) | 大蔵省兌換証券 | 財政収入の赤字を補填するために発行された紙幣です。10円と5円、1円の3種類が発行されました。 |
1872年(明治5年) | 明治通宝札 | 日本で初めて西洋式印刷術によって印刷された紙幣です。ドイツのフランクフルトに、製造元である民間工場があったことから別名「ゲルマン札」とも呼ばれます。 |
1881年(明治14年) | 神功皇后札 | 全券種に菊花章の勲章が描かれているのが特徴的な紙幣です。神功皇后札は「明治通宝」の偽造対策として発行されました。 |
国立銀行紙幣
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%
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国立銀行紙幣は、政府紙幣とは別に国立銀行(民間銀行)によって発行された紙幣です。
主に殖産興業資金を供給するために発行されました。
国立銀行紙幣には、金貨や銀貨と交換できる兌換紙幣と交換できない不換紙幣の2種類があります。
当時の国立銀行紙幣の製造は、アメリカの会社によって行われていたため、国立銀行紙幣の印刷は当時のアメリカのナショナルバンク紙幣と類似しています。
国立銀行紙幣も政府紙幣同様、1899年(明治32年)に通用停止となりました。
兌換銀行券とは?
引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Banknote_(AM_1947.151-1).jpg
兌換銀行券とは、1872年(明治5年)に国立銀行条例によって設立された発券銀行によって発行された銀行券です。
保有者の要求があれば、同額の金や銀のような正貨と引き換える約束をもとに発行されました。
1884年(明治17年)に兌換銀行券条例が公布されると、銀と交換できる「日本銀行兌換銀券」が発行され、金本位制が採用された1897年(明治30年)には「日本銀行兌換券」が発行されます。
1917年(大正6年)に第一次世界大戦の影響で兌換が停止し、1942年(昭和17年)の日本銀行法制定によって兌換制度が廃止されました。
裏白券とは?
引用:https://www.npb.go.jp/ja/museum/
tenji/gallery/urajiro.html
裏白券とは、裏面が印刷されていない紙幣のことです。
第一次世界大戦後に日本が不況に見舞われる中、1923年(大正12年)には関東大震災、1927年(昭和2年)には金融恐慌が起こります。
裏白券が発行されたきっかけは、1972年(昭和47年)の金融恐慌の際に銀行破綻の情報が流れたことです。
人々が預金の引き出しに殺到し、日本銀行券が不足する事態となりました。
日本銀行が各銀行に融通するお金として急遽発行したのが、裏白券です。
通常の印刷では間に合わないため、裏面の印刷が省略されました。
表面も簡易なオフセット印刷による彩紋の図柄のみと、簡素なものになっています。
他の古紙幣も知りたい方は以下の記事をご覧ください。
昭和時代の1円の価値
日本銀行調査統計局が提示する企業物価指数(戦前基準指数)によると、昭和2年の指数は1.099、令和元年は698.8となっていました。単純に、昭和時代の1円は、現在の636円ほどの価値があったといえます。では、当時の1円で何が買えたのでしょうか? 例えば、昭和初期には1円で映画を一本楽しむことができたようです。一方、高度経済成長期を迎える昭和30年以降、お金の価値は大きく変動し、1円は現在の10円ほどの価値に下がりました。
明治時代の1円の価値
明治時代の1円の現在価値は、約2万円に相当します。
企業物価指数以外にも、当時のお給料をもとに1円の価値を予測できます。
例えば、明治時代の小学校教員の初任給は1ヶ月8〜9円で、現在の初任給はおおよそ20万円程度です。
よって、明治時代の1円の現在価値は、約2万円に相当するとわかります。
銭は1953年に廃止された
銭は1953年(昭和28年)に廃止され、円単位のみが使用されるようになりました。
銭が廃止された理由は、第二次世界大戦後に見舞われた激しいインフレです。
激しいインフレによって銭単位の貨幣の使用価値が失われ、1円未満の紙幣や貨幣についても、1953年(昭和28年)に制定された「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」によって発行が停止されました。
現在1円未満の紙幣や貨幣は通貨として使用不可ですが、例外として、利息や外国為替の計算などの際には1円未満の単位が使われています。
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まとめ
江戸時代と現代では社会の仕組みや暮らしが異なるため、当時のお金の価値を明確にするのは非常に困難です。三貨制度によって統一された金・銀・銅の中でも、当時の一般庶民では滅多に目にする機会のなかった金貨は現在でも高額で取引されています。
小判では慶長小判や宝永小判、正徳小判、大判金が挙げられ、サイズが大きいほど金の含有量が多く、1,000,000円以上の値が付くことも珍しくありません。
また、発行から数ヶ月で流通が終了した金貨もあり、希少性の高さから高額買取の対象とされています。
江戸時代のお金をできるだけ高値で売却するためには、自身でクリーニングを避けたり、セットで査定に出したりすることを意識すると良いでしょう。
2つの買取方法